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作品うp用ブログ。 油彩・立体がメイン。美術に関するあれこれも書いていく。twitter⇒http://twitter.com/2501kai
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 そいつは主であるかもしれない

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 包み隠す

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 増殖。分裂。歪みの広がり。泡のようなソレ。

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横浜美術館で開催の、待ちに待った展覧会。既に2度足を運びましたが、後もう1度行く予定。1度目は一人で、2度目は友人と行きましたが、見方がそれぞれ違ってなかなか面白かったです。しかし、彼女の作品に関してどうも具体的に記述できそうに無いので、思ったままをつらつらと書いていきます。すみません;;

会場に入って、しばらく作品を鑑賞していると、ひたすらに「怖い」と思う。描かれているものが、とか作風が、とかそんな薄っぺらい理屈じゃなくて、作品自体が、あるいは展覧会全体がとても恐ろしく感じる。狂気をテーマに描いているようだが、この人の狂気は絵の精緻さや扱う題材なんかに宿っているわけではない。
徹底的で執拗な自己と精神の分析により生き長らえ、ひたすら他人を拒絶している。こういった作品を作ることができる精神の人が普通に生きていることこそ恐ろしい。
この人の作品は美しい。けれど狂っている。
私は絵を描いてきた者として、このような絵に魅力を感じるし、その自分の中の哲学や美学に非常に惹かれている。この人のような絵が描けたらいいと思う。しかし同時に、このような絵が描ける人間にはなってはいけないと思う。

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今日はやなぎみわ演出の演劇「1924 海戦」を見てきた。

入れ子構造になった、複雑な劇ではあるが、演劇鑑賞2度目の私にも、各場面で言わんとしていることは不思議と理解できた。一人の芸術家の苦悩と現実。前衛にこそ芸術がありと追い求めても、その手に掴むは空虚と孤独ばかり。それでも戦い続けるしかない芸術家の業とでもいうものと、閉じ込められた砲塔で水兵達が「前兆だ!前兆だ!」「戦闘は続行する!!」「戦争は俺達をどこへ連れて行く気なのか!!」と叫ぶ声が見事なまでにシンクロする。演出家土方の築いた築地小劇場は、演劇の実験場として、演劇芸術の方舟となるはずだったが、生死の極限でなお足掻くことしかできぬ堅固な牢獄、あるいは砲撃を受けて破壊される戦艦そのものにしかなりえなかった。・・・いや、果たして本当にそうなのか?
芸術とは一体なんなのか。ツイッターやスカイプなど、今使われているツールが劇中に混ざることで、問われている問題が今まさしく現実に問われていることであると生々しく実感させられる。社会運動と広報活動、検閲、芸術と鑑賞者との関わり方、芸術の社会的影響力、未曾有の大災害から復興する最中であるという転機。その中でひたすら揉まれ、自分はどうあるべきか苦しむ土方の心境に心底共感して泣けた(元々B級でも泣ける程度の能力を持ってはいますが)。それが案内嬢の無機質な声によって、土方の苦悩が滑稽な喜劇のように感じさせられているのだから尚更に泣ける。実際、鑑賞者(ただ作品を享受するだけのユーザー)から見ればこれらの苦悩なぞ喜劇以外の何者でもないだろう。隣の席の人は退屈そうに何度も足を伸ばしていた。

この演劇を短く言い表すなら、"若い水兵と芸術家達の熱い血にまみれた舞台"だった。曰く、日本の鑑賞者は舞台で殺戮を見せられて怯えるほどセンチメンタルでは無いそうだ。

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昨日、久しぶりに美術館に行ってきました。
22日開催のゴヤ展と、東京藝大大学美術館で開催中の彫刻の時間展、どちらもなかなか見ごたえがあって良かったです。

ゴヤ展は、昨日からの展示だったので、流石に人は多めでした。肖像をはじめとした油絵はもちろん、ロス・カプリーチョスの版画シリーズや素描が充実していたのが印象的でした。着衣のマハもしっかり見てきました。裸バージョンよりも絶対に着衣のほうがエロティックです。
作品を一通り見て感じたのは、ゴヤの作品に描かれる人物(特に肖像画などに登場する貴族たち)の人間味の無さでした。ゴヤは紛れも無い天才型の画家で、人物の細かな特徴を忠実に捉えてキャンバスに再現しており、技量については文句のつけようも無いんですが・・・その観察眼がいささか冷たすぎるような気がするんですね。例えばヴィジェ・ルブランの肖像画やフェルメールの描く人物画と、図録を広げて比較すると、その違いはもう歴然としていて、ゴヤはまるで人形を描くかのように人物を見ているのがよくわかります。基本的に人物の目が死んでいるんですが、目に光が入っている絵でも、生きている人間の目というよりはむしろガラス球が嵌っている目を描いているかのような印象を受けます。
しかしそれがロス・カプリーチョスの作品群の前に来ると、途端に描かれているのが”生きた人間”になるのです。展覧会の解説を読むと、これらの絵はゴヤの批判精神から描かれたというようなことが書かれていますが、実際に絵を描いている立場から言わせてもらえば、批判精神や義憤だけでこの愚かで醜い人間たちの無様をこうまで生き生きとは描けないと思います。確かに皮肉に満ち満ちた作品ですが、これらがやがて黒い絵のシリーズへ繋がっていくのだと思うと、社会風刺というよりはゴヤ自身が他人への暴力や、醜さ愚かさといったものに興味があったのではと思わずにはいられません。展覧会最初のほうに1枚だけある自画像を見ると、どことなくロス・カプリーチョスの登場人物たちに面立ちが重なる気がします。この展覧会はそうした、ゴヤの2面性が垣間見える展覧会でした。

その後彫刻の時間展に行きましたが、こちらは場所柄というのもあるのでしょうが、土曜だというのにほとんど人がおらず、じっくり見ることができました。彫刻のことはさっぱりわからないので、細かな分析などはできませんでしたが、これも勉強ですね。
伝統と継承という副題の通り、仏像から現代の彫刻作家までを取り扱っていますが、展示作品中で群を抜いて感動したのが平櫛田中の作品群でした。作品の量も多かったのですが、まるで木に命が宿ったかのような人物木彫は一見の価値アリです。むしろ木に見えませんでした。どう見てもあれは人物です。また、現代の作家では原真一と森淳一の作品が好みでした。原真一の溶けた石のような柔らかな形は思わず触りたくなります。森淳一は骨や珊瑚、貝殻といった生き物の”殻”を使った作品でした。しかし実は、ああした多孔の物質が私はあまり好きではないので、目にした瞬間ちょっとぞおっとしましたね。でもその素材が発する印象が、いい感じのインパクトになっていた気がします。あと、増井岳人の白い土偶器もなかなか綺麗でした。単純な色の美しさと、ミイラを思わせるような形は、現代の土偶と表現するには言いえて妙だと思います。
彫刻に関しては語彙が少ないので、これ以上の言葉を使って表現できないのがもどかしいですが、この展覧会も機会があれば是非見てみることをおすすめします。

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